「4年制薬剤師の問題点」についての続きです。
小学生の頃からの幼なじみで、中学も一緒。
高校でクマは普通科に、彼は工業高校の電気科に進学しました。
それ以来、友人関係は疎遠になり、ある程度の時間が経ちました。
クマが大学生の頃に、長期休暇で実家に帰るなどした時には
一緒につるんでまた遊ぶようになっていたのですが、
彼はその頃、デザインの専門学校に通っていました。
そんな彼とのある日の会話です。
(´(・)`)「ところで、何でまたデザイン学校に進学?」
( ゚Д゚)「いや、高校卒業した時に、就職の斡旋とか有ったんだけど
なんか、10社ぐらいしか無かったんよ」
(´(・)`)「まあ、定員から考えたらそれぐらいが妥当じゃね?」
( ゚Д゚)「いや、そうんんだけど、なんかな〜」
(´(・)`)「何?」
( ゚Д゚)「いやな、高卒かも知らんけど、
自分のこれからの人生の選択肢がたった10個ってどうよ?
とか、考えてしもうたんよ」
(´(・)`)「あ、なるほどね」
( ゚Д゚)「なんか、つまらなくね?」
(´(・)`)「確かにつまらんなぁ」
( ゚Д゚)「だろ?そしたらもうちょっと好きな事を
やってみたいなとか思った訳よ」
(´(・)`)「そっか。それで今は何のデザインやってんの?」
( ゚Д゚)「Webデザインって分かる?」
(´(・)`)「いや、よくわからん、何すんの?」
( ゚Д゚)「ホームページとか作るんよ」
(´(・)`)「はは〜ん」
( ゚Д゚)「後は商品のパッケージデザインとか」
(´(・)`)「面白そうじゃん」
( ゚Д゚)「面白いよ」とかまあ、こんな話をしたんです。
ここで彼が言ったひと言、
「自分の人生の選択肢がたったの10択」これには頭を殴られる衝撃を受けました。
この世に生を受けていろんな物に興味を持ち、
いろんな可能性があると信じて生きてきたはずの人生で、
ある日突然やってくる人生の分岐点。
その分岐点は自分の理想とする物への二者択一ではなく、
あまり納得のいかない妥協の10択。
あまりにもつまらないじゃないですか。
そんな所で人生を決めてしまうのは。
自分の興味の有る分野へ進んで、それが職業になったら
こんなに素晴らしい事は有りません。
彼はその後、一時フリーランスのデザイナーとして
様々な企業のHPを作成していました。
そして今では、あるデザイン会社の社長に気に入られて
正社員として仕事をしています。
薬剤師はどうでしょうか?
国家資格を取った後に進む事が出来る進路には
薬局と病院薬剤師だけではないのです。
この事実を知らない学生が多すぎます。
そして、世間の知識としても、
あまり知られている事では有りません。
薬学部に行けばこんな職業に就く事が出来る。
こんな資格が他にも取れる。などなど、入ってから知る事ばかりです。
そして致命的なのは、
「それを知った所でもう間に合わない」
という事です。全てが過ぎてから知るのです。
もっと事前に知っていたら・・・・。
で、薬学部在学中に思ったんです。
「もっと現場の人間の話が聞きたい」薬剤師のライセンスを持ちつつ、
様々な分野で活躍する人たちの話を聞きたいと思ったのです。
しかし、たった4年でどこにそんな時間があるのでしょうか。
当然全くそんな機会など与えられる場もなく、過ぎ去って行くのです。
これでいいのか?気がつけばもう大学も3年生の後期。
国家試験まで待ったなしの状態。
受験勉強で頑張って合格して、
それなりに期待して入った薬学部。
国の最高教育機関であるはずの大学というものに
激しいまでの憤りを感じました。
こんなにもお粗末な教育で、
医療人としての教育もなく、
どんな職業で活躍できるかも知らないまま。
教授陣は何十年も同じメンツで年功序列の順番待ち。
庭の狭い人間関係。クマにとってその人生は魅力的に感じません。
「戦後ずっとこれが続いてきたのか?何年経つ?」そんな思いに駆られました。
そして、それと同時に
「自分たちの後進にも同じ思いをさせるのか?いつまで続ける気だ?」
こんな思いで4年生の後期を過ごしていました。
この薬学部教育に対する怒りのエネルギーを
国家試験勉強にぶつけながら。
今日はここまで。
次回は「4年制薬剤師の問題点」のまとめです。
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