クマの親父の命日は6月下旬。
梅雨時の鬱陶しい季節です。
クマ一家は、毎年その命日辺りを狙って毎年墓参りをするのですが、
今年は息子が熱を出してしまい、当日は墓参りに行けませんでした。
で、遅れながらも、今日行って来たのですが、
買い物ついでに思いつきで行ったので何も手持ちがありません。
線香もお供えも何もなしです。
でもね、思うんです。
お盆とかお彼岸とか日本にはそう言った風習がありますが、
これは、祖先を敬う心を忘れるなよという意味合いだと思うんですね。
こういった心はとても大切だと思います。
でも、完全に儀式化された形式通りの
心のこもっていない風習になってしまっているならば
そんなものはやめてしまえとかも思うんです。
だって何の意味も無いんですもの。
墓参りする行動が大事なのではなく、
自分の先祖に感謝の気持ちを持つ事が大切な訳です。
クマは親父が死んでからちょくちょく墓参りには行きますが、
お供え物などはほとんど持参しません。
・・だって、親父と話に行くだけなんですから。
姿は無くなれど、心の芯として親父は存在しています。
そして親父は私ら子供を守る前に、オカンを守っているはずです。
それでいいんです。
私ら子供は自力でしっかりと生きていますから
特にまだ守られる必要はありません。
むしろ我が子を守るために親父はクマの尻を叩いてるでしょうw
これも、これでいいんです。
それが一番親父らしい、私の親父の姿です。
また話しに行くよ。親父。
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